「みんないい」と言っているのに「できないこと」ばかりを並べている
「できることだけ」を並べることもできたはず
金子みすゞの詩「わたしと小鳥とすずと」では、「みんなちがって、みんないい」という肯定的な結論に至る一方で、詩の大部分は「できないこと」に焦点が当てられています。しかし、詩を構成するにあたって、あえて「できること」だけを並べるという選択肢も存在したはずです。たとえば、小鳥の「空を飛べる」能力や鈴の「響く」美しさ、そして人間の「考えられる力」といったポジティブな面を強調する方向性で創作することも可能だったでしょう。それにもかかわらず、みすゞは「できないこと」を選び、詩の中で小鳥と鈴、自分自身の限界を語りました。この選択は、単に心に響く詩を作るという意図だけでなく、彼女の深い哲学が込められていると考えられます。
なぜそうしなかったのか
「できないこと」ばかりを並べた理由として考えられるのは、金子みすゞが「違い」を際立たせ、その中にこそ価値を見出そうとした点にあります。「できること」だけを並べれば、単なる賛美や優越感の表現に終始してしまう危険性があります。一方、「できないこと」に注目することで、自分や他者に対し「足りない部分」を認め合う視点をもたらします。この手法によって、詩のメッセージが単なる表面的な相互肯定ではなく、深い共感と多様性の認識へと昇華されているのです。また、彼女は「できない」自分の姿を隠さず、むしろその中に詩的な美しさや普遍的な価値を見出したかったのではないでしょうか。この視点こそ、彼女の詩が広く愛される理由の一つです。
なぜ大部分が消極的な内容なのに、美しいのか
通常、「できないこと」を語る詩は、劣等感や悲しさを伴う内容になりがちです。しかし、金子みすゞの詩「わたしと小鳥とすずと」は、そのようなネガティブな印象を読者に与えません。むしろ「できないこと」に由来する違いを鮮やかに際立たせたことで、全体として調和的で美しい印象を持つ詩が生み出されています。その美しさの鍵となっているのは、「みんなちがって、みんないい」という結論に至る過程と、詩全体に流れる優しさではないでしょうか。自分にも小鳥にも鈴にも、それぞれできないことがあると認める姿勢は、自己肯定だけでなく他者への理解や受容を示しています。このような視点は、金子みすゞの詩に内在する「多様性の尊重」というメッセージと深く結びついています。
「みんなちがって、みんないい」とは
目的が見えた瞬間、美しさが消える
金子みすゞの有名な詩「わたしと小鳥とすずと」の最後に登場するフレーズ「みんなちがって、みんないい」は、一見すると個性や多様性を肯定する普遍的なメッセージのように捉えられがちです。しかし、実際の詩全体を読んでみると、この言葉が何かを解決したり明確な目的に向かっているわけではないことに気づきます。むしろ、その曖昧さが人々の心を引き付ける理由の一つではないでしょうか。
詩の中で、自分にはできないこと、小鳥や鈴にはできないことが挙げられる一方で、その違いをただ「いい」とまとめています。そのため、この詩が具体的な目的を持ったメッセージとして伝えられた瞬間、もともと持っていたふわりとした美しさや純粋さが薄れてしまうかもしれません。その柔らかい曖昧さこそが、金子みすゞの詩に独特の魅力を与えているのです。
「美しさそのもの」を大切にしたかったのではないだろうか
「わたしと小鳥とすずと」における「みんなちがって、みんないい」というフレーズは、他者との比較や競争から解放された状態を象徴しているとも言えます。金子みすゞがこの詩を通じて伝えたかったのは、何かを達成するための行動指南ではなく、人や存在そのものをそのまま受け入れる価値観だったのではないでしょうか。
彼女が描き出したのは、「美しさそのもの」への感謝や尊敬といった普遍的な感覚です。この美しさは、成果や結果に依存せず、ただそこに存在するということそのものに宿るものです。それゆえ、詩の静かなメッセージが読む人々に優しく響いているのかもしれません。
ここでいう「いい」は、「いとおかし」のようなニュアンスかもしれない
金子みすゞの詩における「いい」という言葉を、現代の私たちが使う「良い」という価値判断だと捉えるのは、おそらく一部の解釈に過ぎません。むしろ、この「いい」には、古文における「いとおかし」のような感覚的、情緒的な意味合いが含まれているのではないでしょうか。
「いとおかし」という言葉が自然に対する尊敬や静かな感嘆を表すように、みすゞの「いい」も、違いを楽しみ、慈しむ気持ちの表現であると考えられます。この解釈のもとでは、彼女の詩に込められたメッセージが、単なる価値判断ではなく、心の豊かさや多様性への深い感謝に基づいていることがより深く理解できるのではないでしょうか。

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